第七章 二人の距離
12 忙しい日々
野球人気が高まるにつれ、二人は忙しくなる。
主人公は審判。
獣人は会場案内。
試合前には観客を誘導し、試合中には場内アナウンスをする。獣人の低く響く声は非常によく通る。
『ただいまより、試合を開始します』
その声だけで観客が沸く。
主人公は笑いながら、
「お前、見た目だけじゃなくて声まで迫力あるな」
と言うと満更でもなさそうに獣人は、悠然と笑みを浮かべて審判に向かう主人公へ向き直った。
「褒めているのか?」
「褒めてる」
そんなやり取りが増えていく。照れ隠しに太陽を遮って、足早にグラウンドに向かう。
13 挫折の記憶
ある試合で、主人公はかつて自分が高校時代に経験した地区予選決勝を思い出す。
トーナメントを組んだ時は、南の集落が優勢に思われていたが東の集落が善戦して試合はどっちに転ぶかわからなかった。結局、最終回裏に南の集落が放った打球は放物線を描いて、守備の隙間に転がった。
全力で腕を振った返球は、間に合わなかった。逆転のランナーの背を追い抜くことは叶わずタッチセーフ。その試合内容が、かつての自身の試合とダブった。
あと一勝だった。
春も夏も負けた。
大きなミスがあったわけではない。全員が全力で挑んで最後の最後に勝負の神様は離れていった。
ほんの僅かの差で、勝てなかった。
「あのとき甲子園に行けていたら、自分の人生は変わっていたのかな」
いつの間にか住み慣れた我が家で、試合結果を肴に二人で話し込むのもいつもの事だったが、普段とは異なるトーンで零れた言葉。
主人公の過去の話から、大事な試合に挑む前に敗退したことは知っている。競技に打ち込むコーコーキュージたちにとっての甲子園の重みは他とは比べものにならないのだと聞いていた。獣人は努めて平静な声で
「変わったかもしれないな」
と答えた。主人公が次に続ける言葉を探して黙っていると、獣人は続ける。
「だが、そうでなければ今ここにはいない」
主人公ははっとした。あの挫折も運命の一部なのだとしたら。神の悪戯によって、条件がたまたま合致したから二人ともがこんな世界に召喚されたのだと。
「俺は、今のお前と出会えたことを悪いことだとは思っていない」
獣人にとっては自然な言葉だった。
しかし主人公にとっては、心に残る会話だった。