第九章 賭け
15 賭け
野球が広がるにつれ、二人が予想していなかった問題も起こるようになった
集落対集落の試合が賭けの対象になり始める。最初は「勝った方に夕食を奢る」程度のものだった。
それがいつの間にか、金銭を賭ける者が現れた。誰が勝つかを予想し、当たれば金が増える。試合そのものよりも賭けに熱中する者まで出てきた。
ある日の試合後、二人は空になった観客席に残っていた。昼間まであれほど騒がしかった場所が、今は静まり返っている。
主人公はグラウンドを見つめながら、ため息をついた。
主人公は野球そのものが悪いわけではないと考えていたが、思ってもいないほど賭けの規模が大きくなってしまった。
「……困ったな」
ついさっきまで行われていた試合後に、賭けのいざこざで観客席で乱闘騒ぎが起こっていた。
「野球を楽しんでくれるのは嬉しい。でも、賭けが目的になるのは違う気がする」
「同感だ」
「お前なら『金が動くなら商売としては成功だ』とか言うかと思った」
器用に獣人は片眉を上げて顔を顰め乍ら肩をすくめて見せる。たまにこの獣人はアメリカンのような仕草をすることがある。
「俺は設計士だ」
「知ってる」
「建物を作るときも、使う人間がどう使うかを考える。金になるからといって、使い勝手の悪い建物を作るわけではない」
獣人はグラウンドを見る。
「野球も同じだろう。俺たちは人を楽しませるためにこれを作った。ならば、楽しむための仕組みを守る必要がある」
断言する強さにやや驚きながら、主人公は頷いた。獣人はなおも続ける。
「だが、賭けそのものを禁止する必要があるのか?」
「……どういう意味?」
「人間は勝敗を予想すること自体を楽しんでいるように見える。試合前にどちらが勝つか話している連中は、賭けていなくても楽しそうだった」
主人公は考える。確かにそうだった。元の世界でも、野球ファンは試合前に勝敗を予想する。
好きな選手の活躍を期待する。贔屓のチームが勝つかどうかを語る。
賭けなくても、試合にはそれだけで熱狂する理由がある。
「じゃあ……賭けることは禁止して、勝敗を予想するだけなら残す?」
グラウンドをぼんやりと眺めていた目がこちらを向いた。
「金を賭けるんじゃなくて、当たった奴に何か別のものを渡すとか」
「例えば?」
「試合後のグラウンドに入って思いっきり走れる権、とか」
獣人が少し考える。
「それなら、金を持っていない子供でも参加できる。そして勝敗を予想すること自体は、試合を見る楽しみにもなる」
行動を許可するだけなら金も掛からないしいいだろう、としばらく具体案を考え込む獣人が黙り込む。横顔は真剣そのもの。
「公式の試合では金を賭けるのは禁止。勝敗予想は残す。ただし、景品は金じゃなくて野球に関係するものにする」
「規則を書こう」
「今夜のうちに作るか?」
二人は並んで歩き出す。
「もちろん!……お前、向いてるよな」
「何が?」
「仕組みを考えるの」
振り返った獣人は少しだけ目を細める。
「お前が思いついたものを、形にするのが俺の仕事だからな」
そのまま歩き出した獣人と共に数歩進んだところで、主人公がふと足を止めた。
「……こういうの、これからも二人で考えていくのかな」
「そうだろう」
獣人は立ち止まって、主人公が横に並ぶまで立ち止まって待ってくれている。あまりにも当然のように答えられて、主人公は少しだけ笑った。
その夜、二人は遅くまで規則を書いた。
紙の上に並んだ文字を見ながら、ああでもない、こうでもないと話し合う。
子供たちにも楽しめるようにするにはどうすればいいか。
いつか大きな球場を作るなら、どんな形がいいか。
話せば話すほど、次にやりたいことが増えていく。
そして主人公は気づき始める。自分は野球が好きなのだと思っていた。
もちろん、それは間違いではない。
けれど今は、それだけではない。
野球について話すことを、こいつと一緒にするのが好きなのだ。
一方の獣人も、主人公が話す野球の話を聞くことが、いつの間にか楽しみになっていた。
仕事の話ならいくらでもできる。
しかし、主人公と話していると、仕事では必要のなかったことまで考えたくなる。
明日は何をする。次は何を作る。どんな景色を見たい。
そんな未来の話を、自然と主人公と共有している。
それが獣人には不思議だった。
翌朝。
主人公が目を覚ますと、隣の部屋から獣人の声が聞こえた。
「起きているか?」
「……んー」
「昨日話していた件だが、もう一つ案を思いついた」
眠い目をこすりながら主人公は笑う。
「朝からそれかよ」
「駄目か?」
主人公は起き上がる。
「いや、聞かせてくれ」
二人はまた、野球の話を始める。
この頃にはもう、二人にとって「一緒にいること」は特別なことではなくなっていた。
だからこそ、まだ二人とも気づいていない。
その「当たり前」が、少しずつ友人以上の親密さに変わり始めていることに。