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第十章 恋

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忙しい日々の中で、二人の距離はさらに近づく。

主人公はいつの間にか、獣人が隣にいることを当たり前に感じるようになっていた。

朝、目が覚める。

たいてい自分より早く獣人が起きている。

試合会場へ一緒に行く。

やっている作業内容は違っても、そばで獣人がいる。

仕事が終わる。

獣人と飯を食う。

朝から晩まで一緒にいても、穏やかに過ごしていける公私共のパートナーとなっていて、当然のように周りにも受け入れられている、そう悪くない日々。

その日、獣人は隣の集落へ向かうことになった。

新しく建設する球場について、現地の代表者と打ち合わせをするためだ。

野球が広まるにつれ、試合を開催したいという集落は増えていた。これまでは空き地を整えて使っていたが、観客が増えればそうもいかない。

「三日くらいで戻る」

朝、荷物をまとめながら獣人が言った。

「向こうの土地を見てみないと、設計図が引けないからな」

「そりゃそうか」

主人公は頷いた。特に深く考えてはいなかった。

三日、たったの三日だ。これまでも別行動をしたことくらいはある。

「じゃあ、気をつけてな」

「ああ」

獣人はそう言って出かけて行った。主人公はその背中を見送った。そして、その日の夕方。

「……あ」

夕食の席についてから気づいた。いつもなら向かいか隣にいるはずの大きな身体がない。

なのに、妙に静かだった。いつもなら、食事をしながらこの時間には今日の試合について話している。次の試合では観客席をどうする。

あの選手はもっと投げ方をこうした方がいい。場内販売のメニューそろそろ変え時じゃないか?

球場についてのありとあらゆることについて、そんな話を食事をしながら延々としていた。

今日は、それがない。

「……静かだな」

翌朝。

主人公が目を覚ますと、いつもより少し遅い時間だった。

「……やべ」

起き上がりながら、ふと気づく。寝起きの主人公が布団の中でもぞもぞしていると、「寝坊助か?起きろ、朝だぞ」と低い声が聞こえるのに、今日はない。

主人公は起きだして部屋の中でなんとなく彼の定位置を見る。もちろん誰もいない。

「……三日だって」

自分に言い聞かせる。そうして仕事へ向かった。

午前中。

試合運営について話し合っていると、ふと新しい案を思いついた。

次の試合から、観客席の一部を子供連れ向けにしてはどうだろう。小さい子供でも見やすい場所を作れば、家族連れも増えるかもしれない。

なかなか良い案だ。

「これ、あいつに話したらどういう顔するかな」

そこで主人公は口を閉じた。

今頃は隣の集落で、球場を建てる場所を見ているはずだ。

「……癖になってんな」

何か思いつけば話す。何か困れば相談する。面白いものを見つければ見せる。

――これ、お前はどう思う?

そう聞きたくなる。いつの間にか、それが当たり前になっていた。

その日の仕事が終わる頃には、主人公はようやく認め始めていた。自分は、思っていたよりずっと獣人がいないことを気にしている。

一方、その頃。

隣の集落に到着した獣人は、依頼主たちと球場予定地を歩いていた。

「この予定地を観客席にすると、傾斜の関係で観客席に水が溜まる確率が高いですね」

「では、こちらは?」

「こちらであれば問題ないでしょう。ただし、選手の出入口は反対側にした方がいいですね」

図面を広げ、寸法を確認し、必要な資材を考える。

しかし昼食の時間になると、ふと手が止まった。主人公なら、『球場に屋根つけられない?』などと無茶を言ってきたりする。

雨の日でも試合をしたいと以前に零していたのを思い出して、獣人は呆れながらも、その方法を考えている自分に気づいていた。

主人公が思いついたことを、自分が形にする。

最近では、それが自然になっている。

打ち合わせを終えた獣人は、宿へ戻った。

新しい球場の案が頭の中にある。良い設計ができそうだ。

主人公に見せれば、きっと喜ぶ。

獣人は部屋に入り、図面と地図を机に広げた。今日見てきた内容を書き留めていく。だが、ちょっとした文字を書き損じたり、間違った場所に線を引いたり。消してまた引いて、少し集中していてもまた間違える。

今日は、妙に落ち着かなかった。何度目かのため息をついて、獣人はようやく気づく。

「……俺は」

誰に聞かせるでもなく呟く。

「こいつがいないと、こんなにも落ち着かないのか」

そう認めるまでに、少し時間がかかった。

主人公は朝からそわそわと部屋を片付けてみたり、外を覗いたりして過ごした。仕事に出ても、オフィスのドアが開くたびに振り返ってしまう。

今日帰ってくるはずだ。別に帰ってくる時間を聞いたわけではないけれど。自分でも驚くほど、落ち着かなかった。

その頃、獣人は予定より少し早く仕事が終わった。急いで帰る必要などない。でも、自然と寄り道しようとは思わず、まっすぐに帰り路についた。

3日ぶりに帰ってきた二人のオフィス兼自宅に明かりが点っていて、獣人の胸の奥に張りついていたものが、すっとほどけた。

「おかえり!」

「ああ、ただいま」

帰ってきた獣人がリビングの窓から見えたのだろう、飛び出してきた主人公があまりにも嬉しそうに笑うから、獣人も少しだけ笑った。

「……待っていたのか?」

「たまたま外に出ようと思ってたところだっただけー。でさ、向こうでどうだった?」

「悪くない。設計については明日見せる」

強がって話題を無理やり変えたことを指摘すると拗ねてしまいそうで、それ以上は言わなかった。

その夜。

二人はいつものように並んで食事をした。主人公は箸を動かしながら、ふと口にした。

「なあ」

「何だ?」

「……俺がいない間、寂しかったでしょ?」

冗談半分にちょっとふざけて言った言葉に、獣人はしばらく黙った。

そして、それからじっ…と主人公の目を見つめながら

「そうだな」

と答えた。穏やかに食事を口元に運ぶ獣人を見つめて、主人公が固まる。

「え」

「寂しかった」

獣人は淡々と続ける。

「思っていたより、ずっと」

そう言ってにやりとでもしてくれていたら、笑ってそのまま流れたのかもしれないが、二人の間に沈黙が落ちる。

獣人も、そこで初めて自分が何を言ったのか理解したようだった。

だが、撤回はしなかった。

「お前がいないと、何かを考えても話す相手がいない」

獣人は主人公を見る。

「仕事をしていても、これをお前に見せたいと思う」

「……うん」

「何か足りないと思う、お前がいないだけなのにな」

その言葉が、主人公の胸に静かに落ちた。

「……俺も」

小さな声だった。

「俺も、同じだった」

主人公は少しだけ身体を寄せる。おずおずと肩が触れる。

獣人は動かなかった。

離れようともせず、ただそこにいる。主人公はそのまま肩を預けた。

「……なんかさ」

「何だ?」

「俺たち、変だよな」

「そうか?」

「朝から晩まで一緒にいて、それでも別に嫌にならない」

「俺は嫌になった事はない

「俺も」

二人で笑う。それからしばらく、何も言わなかった。

ただ隣にいた。

その日を境に、はほんの少しだけ変化が生まれた。いつも通り「いつも一緒にいる二人」だったが、

何かを相談するとき、以前より近くに座る。人前でも距離は変わらない。

朝、隣で目覚める。

昼、一緒に働く。

夜、同じ食卓を囲む。

何か思いつけば、いの一番に相手へ話す。嬉しいことも、困ったことも、これからのことも。

一日の終わりには、共に寝床に就く。

運命共同体としてそうやって、毎日を終える。

周囲の人たちも、もはやそれを不思議には思わない。そして二人自身も、もうそれを否定しなかった。

そんな日々が、二人にとって何より穏やかで、なにより心地よいものになっていた。

そしてその心地よさが、いつか失われるかもしれない。

その可能性を、二人はもう想像したくなくなっていた。